紀尾井ホールデビュー、その道のりについて

2015年8月15日

紀尾井ホール
昨日、紀尾井ホールで行われた『金子勝子 門下生&門下出身生による45周年記念コンサート“音の調べ”』のご報告です。

まず、この演奏会に出演することになった経緯と、半年間についてちょこっとお話します。

最初、師匠から45周年記念演奏会を予定していることをお聞きしたのは、一年くらい前でした。で、昨年の夏すぎくらいに、レッスンを終えた後、「うさぎさん、45周年出る?」とポロッっとおっしゃった際は、腰が引けて「私ごとき若輩者が‥‥」と躊躇し、お返事は保留させていただいたのです。ピアノ指導者業界の重鎮が多数お見えになるのは想像できますし、師匠についてから一年ほどと日も浅いですし。

ただ、紀尾井ホールといえば、クラシック音楽好きなら憧れのホール。あそこで弾けるなんて、この先、めったにない機会ですので、数日してから、先生にメールに「先日の演奏会のお話、まだ生きているようでしたら、ぜひ出演させてください」とお願いした次第です。

そうして、昨年夏から8か月間くらい、この演奏会に向けてバッハのトッカータ BWV914 ホ短調のレッスンが始まりました。

中間地点として、12月に門下の発表会「飛翔コンサート」がありました。発表会ですので、もちろんそれなりにこの曲を仕上げてはいたのですが、演奏終了後、「あなた、紀尾井でこんな演奏じゃだめよ!」と、いきなりジャブ。そこからの4か月間が、本当のレッスンの始まりだった気がします。

今回、何よりいい勉強になったのは、楽曲をある程度を仕上げてから、磨きをかけていくことの大変さでした。
たぶん、多くのピアノ教室では、発表会で70~80パーセントの演奏ができれば、「では次の曲、行きましょう!」というのが“先生と生徒の共有事項”ではないでしょうか? 前日に師匠が、「本番って120パーセントに仕上げても、80パーセントくらいにしかならないものよ」とおっしゃいました。また、私、ブログに「システム開発もレパートリー作りも、仕上げの10%に全工程の90%の労力がかかる」と書きました。

ある意味、80パーセントの出来から、120パーセントに持っていくことこそが、レッスンと練習の真価なのかな、と思います。

特に演奏会直前一か月間の師匠の指導は、それまでとまったく違っていました。二週間前には「全部通して弾かない!」「左右のメロディーを、片手ずつ連打でやること」、そして当日の控え室のリハーサルも「暗譜せず、最後、楽譜を見て弾いてきなさい」と、ピアノ指導者というより、実戦経験に基づくボクシングのコーチのようでした。

有料の演奏会とは、プロであろうがアマチュアであろうが「実戦」なのですね。

今回は、私にとって、初めて有料の演奏会=実戦! 演奏を終えたときは、ただただ「終わったぁー」という想いだけでした。「終わったぁー」という想いと同時に、アドバルーンの風船の空気穴を開放したように、体から空気がシューっと抜け、地べたに腰を下ろしたい気分でした。初陣を飾った、戦国時代の若武者もこんな気分だったのでしょうか。

それでは次の「前編」より、当日の様子をレポートします。


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