ピアノを離れたキミへ~発表会でのできごと

男性
年に一度の金子勝子ピアノ教室の発表会が終わりました。

50回目ということで、例年にない「熱い発表会」でした。シゲルカワイのコンサートグランドピアノの弦が切れるんじゃないかと、内心ヒヤヒヤするほどでした。先週、仕事の山を越したので、年末年始に発表会レポートほか、貯めているネタをブログに更新したいと考えています。

先に一つだけ、昨日の発表会で印象深かったできごとを。

今年4月、大学生になった元生徒の男子・Bくんが発表会に聴きに来ていました。彼は、十分に音楽大学に進める実力を持っていたけれど、一般大学に進学した男子でした。

発表会終了後、彼とロビーで10分ほど彼の話を聞きました。こんな内容。

「今はまったくピアノを弾いてません。(ピアノから)離れて発表会に参加すると、不思議な感じです。ちょっと前まで、あちら側(演奏する側)にいたのに、今は聴く側として冷静に見つめているというか……」

「両親は音大に進学することを強く求めたのですが、僕自身、ピアノはもういいや、と。もともとピアノは、自分から始めたものじゃなかったし」

「でも、いつか、いずれ“ピアノが帰ってくる” と思うんですよ」

そんなことを、ちょっと寂しそうにポツポツと話してくれました。私なら分かってくれると思ったのかな。ちょっとうれしかった。

バタバタしていて、ちゃんとメッセージが伝えられなかったのでブログにて。

Bくんへ

うん、分かるよ。とっても分かる。「ピアノに帰っていく」じゃなくて「ピアノが帰ってくる」というニュアンス。僕もキミと同じだったから。

キミにピアノが帰ってくるのは、すいぶんと時間がかかることかもしれない。10年、いや僕のように20年以上かかるかも。

こんな風に思うんだ(もしかしたら、勘違いかもしれないけれど)。

僕もキミと同じ、もともとピアノは自分自身で始めたものじゃなかった。それでも10代の5年間を、高い集中力でピアノに向かっていた。

「無我の集中力」っていうのかな。この集中力は10代男子のアドバンテージだ。ある男子は部活に打ち込み、ある男子はアニメに打ち込み、ある男子はアイドルに打ち込んだりする。

だけど20代を前にして、ほとんどの男子は、そんな集中力がふと抜けてしまうもの。ピンピンに張っていた風船が、気が付くといつの間にかシワシワにしぼんでいるように。

僕は大学生になると、自分の外側にある新鮮な風景が次から次へと目に飛び込んできた。それまで自宅と学校周辺だった行動範囲が街へと広がったり、新しい人間関係であったり、ホントいろいろだった。両親や高校までの学校教育のくびきを離れて、自分の生き方を自分で選べることはワクワクすることだった。けれどその一方で、開かれていく世界と新しい環境に合わせて、自分を相対化せざるを得なくなる。冷静に、あるいは冷徹に。

僕は自分自身が外へと開かれていくほどに、ピアノへの「無我の集中力」が失われていった。

今にして思うのだけど、ピアノの演奏を人生の中心に据えるということは、外に開かれる自分と格闘しながら、「無我の集中力」を維持し続けることでは?なんて思ったりする。技術力や表現力なんて、「無我の集中力」 の維持に比べるとホンの些細なものじゃないだろうか。

男子がオトコになるのは、「無我の集中力」 を喪失することかも、なんて僕は思っている(女子のことは全くわからない)。

あぁ、とりとめのない話になってしまった。

とにかく僕が言いたいのは、自分からピアノに帰る必要はない。「ピアノが帰ってくる」まで忘れるといい。遠くに遠くに行けばいいよ。

けれど、遠く離れた時間こそ、いつかピアノが帰ってきた時、自分の音楽の滋養であることに必ず気づくはず。

僕がそうだったから。


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雑記発表会

Posted by 鍵盤うさぎ