グレープ「19歳」と松任谷由実「気ままな朝帰り」

2014年5月26日

さだまさし氏がソロになる前、1970年代に活動したフォークデュオ「グレープ」。グレープに「19歳」という歌があります。1975年にリリースされたアルバム『コミュニケーション』に収録されています。

この曲は、「もう19になるのだから、家を出てみようか」と最初に宣言するんだけど、最後には「19になったなら、あの人に家に来てもらってお父さんに会ってもらおう」で終わるという、悩めるコンサバ女子の独白です。下はルカさんという方のカバー演奏。

 
私の母親は20歳で結婚し、私は21歳で生まれた子どもなのですが、1960~1970年代当時、成人を前にした19歳は結婚を意識する年齢だったみたい。そういえば、かぐや姫の「22歳の別れ」も、22歳で主人公の女性は付き合っていた彼と別れ、(親の決めた?)結婚を選ぶというのが歌詞のストーリーでした。

私がティーンズだった1980年代は、女性の結婚がバースデーケーキのように語られていました。24日(歳)が一番売れて、25日(歳)になると売れ残り、26日(歳)だと半額バーゲンにしても売れない‥‥と。いずれにせよ、高校、短大卒業後に就職した会社に2、3年の勤務し、学生時代に付き合った先輩・同級生、あるいは社内恋愛の同僚と結婚して、専業主婦になるというのが既定のコースのように考えられていました。

私と妻は26歳で結婚しました。今でこそ若者には「早くご結婚されたんですね」と言われますが、当時女性の26歳の結婚は若干遅いくらいでした。今では「婚期」という言葉自体が存在感をなくしていますね。

既定のレールに乗れば、人生設計が立てられる一方、楽でもあり面白くもない環境でした。特に女性にとって、20世紀は窮屈な時代だったのでしょう。

そう考えると、1979年にリリースされたユーミン(松任谷由実)のアルバム『悲しいほどお天気』に収録された「気ままな朝帰り」は、今、聴くと20代女性のありふれたライフスタイルのように思えますが、当時の若い女性にとって「都市での独身一人暮らし」はとびきり自由な憧れの生き方だったことと思います。

父親がうらめしかった昔が
なんとなくてれくさくなつかしい
だって今は誰ひとりとがめることもない
気ままな朝帰りなの

下は、風間ヤスヒロさんのカバー演奏。

 


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