五木寛之『さらばモスクワ愚連隊』、ブルースピアノが聴こえる小説

五木寛之の初期の小説にハマる

最近、五木寛之の初期の小説を続けて読んでます。『蒼ざめた馬を見よ』『ソフィアの秋』『残酷な五月な五月の朝に』……。今ではすっかり仏教系作家のように思われている五木氏ですが、私が高校生の頃、初めて読んだ『燃える秋』が世に出た1970年代後半は、先端のライフスタイルや風俗をクールなタッチで描く小説家でした。

舞台がワールドワイド。ロシア・東欧・北欧、作品に描かれたまだ見ぬ異国の風景に、青年時代の私は強い憧れを抱いたものです。その後、いつの間にやら、五木氏の小説を読まなくなってしまったのですが、未読だったデビュー作『さらばモスクワ愚連隊』を今週読み終えました。

五木寛之の小説『さらばモスクワ愚連隊』

面白かった。時折、ブルースピアノの響きが聴こえてくるのがよかった。

『さらばモスクワ愚連隊』のあらすじをざっと

以下、あらすじです。

スターリンが死んで、幾分、自由になった1960年代中盤のソ連・モスクワが舞台。とはいっても、社会主義体制の下、「あるべき文化・芸術の姿」は国家の規制を受けている。

かつての人気ジャズピアニストで、現在、興行プロデューサーである「私」(主人公)は、日ソ芸術交流協会という団体(今後の貿易拡大を狙う財閥系商社や閣僚が関わっている)より、モスクワでのジャズの演奏会興行を依頼され、彼の地にを訪問する。

モスクワ到着後、「私」の現役時代のファンで日本大使館のエリート書記官が世話役となり、ソ連の文化芸術担当の高官を尋ねる。ブルースが弾けなくなって以来、ピアノから遠ざかっていた「私」は、高官が語る「娯楽音楽・芸術音楽論」と彼のショパンの演奏に反発し、高官の前で久しぶりにブルースを演奏する。

一方、街で偶然出会った不良少年・ミーシャと、闇商人が集う怪しげな酒場に向かい、そこで当地のジャズに出会い、ミーシャのトランペットの非凡な才能に気づく。

やがて、「私」、ミーシャ、クラリネットを吹くエリート書記官、アメリカ人学生が、この怪しげな酒場で一夜のセッションが行われ、店の常連たちの好評を得る。

ところが翌日……。

「東側」の都市にあったブルースの土壌

私が学生だった1980年代はまだ東西冷戦の最中で、ソ連という圧倒的な存在感を持つ国家がありました。世界は西側と東側に分かれており、西側に住む私たちには東側は自由のない社会主義体制で、多くがベールに包まれていました。

一方、ピアニストではスヴャトスラフ・リヒテル、エミール・ギレリス、指揮者ではエフゲニー・ムラヴィンスキーとレニングラード・フィルら一流の演奏家がいて、「クラシック音楽のもう一つの本場」として気になる国家でした。

そんな時代背景に接したことがないと、この小説の持つ独特の味わいが理解できないかもしれません。窮屈な社会主義体制の中で、西側のカルチャー(ジャズ)、モノ(ジーンズ)に憧れる不良少年を描いているからです。

また、豊かさと共にピアノを弾くのをやめた(弾けなくなった)主人公は、かつてブルースピアノに掻き立てた何かを、社会主義体制のモスクワの場末の酒場で見つけます。ブルースをやる土壌ですね。

 その頃、私は本当のブルース・ピアニストだったと思う。私たちの体の中には、貧乏と他人へのやりきれない憎しみが、重油のようによどんでいた。失業と病気への不安、人々に賞讃され愛されたいという激しい欲望、そしてこれだけはいつも体中にあふれていた演奏への情熱。私たちは、ナイフを振回したり、呑んだくれたり、ストライキをやったり、神様に祈ったりする代りにブルースをやったのだ。
(中略)
 人気が出ると、金もはいってきた。それぞれ車を買ったり、バス付きの部屋を借りたり、ゴルフを始めたのもいた。だが、私たちは次第にブルースをやらなくなっていった。誰言うとなく、お互いにやりたがらないムードになってきたのだ。 どんなに成功しても、人間は人間であるという重さから逃げることはできない。だが、私たち、いや、私は、いとも手軽にかつてのあのメタンガスのような憎しみと、プレイすることへの燃えるような愛を忘れてしまったのではなかったか。そして何かが私たちから去って行ったのだ。

『さらばモスクワ愚連隊』が出版されたのは1967年。高度経済成長の最中です。当時の読者は、第二次世界大戦後の混乱から消え去った空気を、モスクワの場末の酒場に見出し、共感したのかもしれません。

熱いセッションの情景に惹き込まれる

この作品は音楽がテーマです。ラスト近い酒場のセッションがとにかく熱い。ぐっと一夜のセッションに惹き込まれます。

前奏なしで、〈セントルイス・ブルース〉を私はごく自然に弾きだした。はじめは独りきりだった。最初のパートの十二小節を飾らずに押えてくり返す。短調の十六小節のところで、ビルがはいってきた。ベースの無口な音が、私のピアノを下からがっしりと支えだした。そのうち、おずおずとクラリネットが滑りこんできた。頼りなげなその音をビルと私が力づけるように弾く。乗ってきた。音楽が流れだした。ブルースの誕生だ。

ジョン・コルトレーンがいて、アルバート・アイラーがいて、ジャズが熱かった時代のセッションの雰囲気が、何やらうらやましく感じました。

『さらばモスクワ愚連隊』は単行本も文庫本も絶版。Kindle、Kobo等、電子書籍で読むことができます。


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