「ラ・カンパネッラ」のよさがわからない件

はじめに、「オレ様がリストだ! ドヤー」な肖像画を。

フランツ・リスト肖像画

さて、初めて、リストの「ラ・カンパネッラ」を聴いたのは、中学一年生の頃、NHK FMのとある番組だったと思う。「それでは、ピアノの難曲中の難曲、名曲中の名曲、ラ・カンパネッラをどうぞ」というアナウンスと共に、あの静かな前奏が流れてきたわけです。

が、初めてこの曲を聴いた感想は「どこが名曲中の名曲なのか、わかんない」というものでした。どこが「難曲中の難曲」なのかも、今ひとつピンとこなかった。なんせ、ラジオで聴いたので演奏している姿が分かりませんから。

ただ、最初にラジオで聴いた印象というのは、「音楽そのもの」を判断するうえでよい出会いでした。それがテレビでだったら、高速であっちこっち飛び回る右手が大映しにされて、超絶技巧に幻惑されそうですからね。

「なんや、これ、乙女の祈りと同じやん」というのが、中学生の私の「ラ・カンパネッラ」への評価でした(かわいくない!)。弾けもしないのにね。

それから30年が経過しましたが、私、いまだにリストの超絶技巧練習曲「ラ・カンパネッラ」のよさがわからない。確かにメロディーは、一度聴いただけで口ずさめる「歌謡」的な魅力があるけど、これはリストじゃなくてパガニーニの功績。

なぜ、この曲が「ピアノの名曲」と呼ばれるのか? 思うに、演奏する側は「弾き切った感」があるし「ドヤー!」という気分になれる。一方、聴く側は「すげー!」という気分になれる。ライブパフォーマンスでの“祝祭的な場の共有”ができる、ここに「ラ・カンパネッラ」の立ち位置があるのでは?なんて思ったりします。

しかし、自分の胸に手を当てて考えましたが、やっぱり、私、この曲のよさがわからない。

そんな私の嗜好などお構いなしに、いろんなピアニストがこの曲、CDに収録しているのですね。みんな、この曲、本当に心の奥底から好きなのかな。どうなんでしょう。

「とりあえず、ラ・カンパネッラはビジネス的に鉄板だし」という、レコード会社の大人の事情が透けて見えるのは私だけかしら。


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