ピアノを再開した大人は、子供の頃の学習法を捨てるべき

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子供の頃にピアノを習っていた人が、大人になってピアノを再開した際、かつて教わった弾き方、練習法をなぞることが多いのでは?

1970年代、理想の奏法は「叩く」こと

まさに私がそうでした。

10年前、ピアノを再開した際、本棚の奥にほこりをかぶっていたチェルニー30番練習曲、ソナタアルバムの楽譜を引っ張り出して、練習を始めたのです。当初は、「中途半端にやめたピアノを再開したい」「10代の自分を取り戻したい」という想いがエンジンになっていたので、21世紀の新しい方法で学ぶことに目が行きませんでした。

私が初めてピアノの弾き方を教わったのは1974年です。元号は昭和、ニッポンが石油ショックで第二次大戦後初の挫折を味わった年です。日本においてピアノの販売台数がピークを迎えるのは1985年。まだまだ家庭に一台のアップライトピアノが、豊かな家庭のシンボルとして普及していた時代です。

最初のレッスンで教わったのは、ピアノの基本的な弾き方でした。まず手を握った後、軽く開いた状態に。それが理想のフォームであると。つまり「指を鍵盤に対して直角に立てて“叩く” 」のがピアノの弾き方と教わりました。「ハイフィンガー」といわれる奏法です。

ハイフィンガーは、今では古い奏法として完全に否定されています。現在では、ピアノの鍵盤は決して“叩かず” 、手の重力で“落とす”という脱力奏法が普及してます。

ところが、私はピアノを再開して一年くらい、指導者が見つからなかったので、「昭和の常識」でピアノを独習していました。思いっきり鍵盤を指で直角に叩いていたのです。今思えば指先は痛いし、弾き方もイタかった。

チェルニーは必須ではない

また、教則本と練習曲はバイエル→ブルグミュラー→チェルニーと進んでいくもの、中でも「チェルニーは必ずやるもの」という固定観念を持っていました。ところが、現在の師匠・金子勝子先生に師事するようになって、生徒は誰もチェルニーを練習していないことを知りました。

チェルニーの練習曲をやらなくても、ショパンの練習曲を弾く子供たちを見て、「もともと資質が違うのだろう」と、当初考えたりしました。が、私でさえチェルニー抜きでショパンエチュードを弾けるようになるのですから、あの「チェルニー第一主義」はいったい何だっんだろう?と疑問に思うのです。

師事し始めた当初、念のため師匠に「チェルニーをやった方がいいか?」を尋ねたところ、「やってもいいわよ」というお返事でした。「やりたければやればいい」=「マストではない」という認識にいたり、大いに驚いたものです。

日本のピアノ教育におけるチェルニーの問題については、山本美芽さんの著書『21世紀ヘのチェルニー』は大変参考になる音楽書なのでぜひ。

書評/山本美芽『21世紀ヘのチェルニー』

ピアノもプログレッシブでありたい

20世紀、昭和の時代は「大量生産・大量消費」の時代。誰もが同じテレビ番組を見て、誰もがCMで見たモノを買い求めるのが、安心、間違いのない暮らしへの近道でした。

誰もがヤマハ、カワイのアップライトピアノを求め、誰もが「バイエル」から「チェルニー」へと進む画一的なメソッドの下でピアノを学習。そして、日本中、どこの教室の発表会でも「エリーゼのために」「アルプスの夕映え」が演奏されるというのが、安心、間違いのないピアノスタイルだったのでしょう。

そういえば、師匠からこんなことを聞いたことがあります。昔、師匠がまったくチェルニーをやらないので、子供をやめさせたお母さんがいたと。みんなと違った指導を受けるのは、とても不安な時代だったのでしょう。

私自身、昭和への郷愁がないわけではありませんが、「昔はよかった」「古き良き時代」なんて言葉を吐く、イタいおじさんにはなりたくありません。生き方だけでなく、ピアノを聴くのも弾くのも、プログレッシブでありたいです。

では、昭和の弾き方、学び方から離れるために、どうすればよいのか?

結局「よい指導者につく」が近道だと思います。

では、ピアノを再開した大人が、よい指導者を探す方法は?

ここについて、次回、ブログに書きますね。