私の「交差点」、紀尾井ホールのロビー

5月1日の演奏会について、ブログやミクシィにいろいろとコメントいただき、本当にありがとうございます。日曜は、このブログの閲覧数が、過去最高の1日1200ページビューを超えました。一アマチュアの出来事に興味を持っていただき、とっても光栄です。

今回の演奏会、演奏の内容については、私自身、まだまだ満足できるものではありませんでしたが、何よりうれしかったのは、20人以上の友人が足を運んでいただいたこと、ミクシィやブログでコミュニケーションした方と初めてお会いする機会を得たこと、そして、演奏会後のパーティーで多くのピアノ指導者やご父兄の方々とお話できたことでした。

一方、残念だったのは、大阪の実家の母親が来る予定のところ、父親の検査入院で来られなかったことでした。

そもそも、幼少の頃、母親が私をカワイ音楽教室に通わせたのが、ピアノに触れるきっかけでした。私は当時、ピアノが嫌で嫌で仕方がなかったのです。以前にも書きましたが、1970年代、男の子がピアノを習うのは、大阪の下町ではとても珍しかった。母親は、私にピアノを習わせることを通じて、ピアノの音色が響く家庭という“クラッシーな夢”を実現したかったのだと思います。教室の発表会で、フリフリの袖のシャツを着せられそうになった時は、マジで逃げ出そうかと悩みました。私は、“男のクセにピアノを習わされている”ことに、心底うんざりしていましたから。

一方、トップクラスの成績で私立中学に合格したにも関わらず、中学生になった私は、突然クラシック音楽に目覚め、ピアノにのめりこむあまり、学校の成績は急降下。一時期、母親がピアノの蓋に鍵をかけたこともありました。そんな母親に対して、私は“なんて身勝手なんだ”としばしば憤っていました。10代を通じ、ピアノを巡って、母親とは一筋縄では行かない葛藤がずいぶんありました。

それでも母親にとって、ショパンの音色が近所に響くのは、やっぱり自慢だったようです。ま、老母への親孝行として「花の東京の紀尾井ホール」を見せてやりたかったのですが、これは次の機会ですね。

さて、足を運んでくれた友人の多くは、このブログでもよく登場する“鍵盤うさぎのチャーリーズエンジェル”ほか、30代の10年間に、一緒に仕事をしたクリエーター仲間でした。

中でもうれしかったのが、3年前にピアノを再開したとき、小さな発表会に来てくれた友人、その奥さんとの再会。友人は二年前に若くして脳腫瘍で亡くなりました。ピアノの感想メールが、私への最後のメッセージになってしまいました。

最後のメッセージはこんなのです。

以前から細身ではありましたけど、また痩せた?
久しぶりにお会いして少し気になりました。
ピアノの力を感じて「大丈夫だ」と思いましたけど。
昼でも夜でもいいので、食事行きましょうね(お忙しいでしょうが)。
都合のいい場所に行きますよ。
楽しみにしてます!
改めて、昨夜は綺麗な時のパッケージを本当にありがとう!!

私に彼を紹介してくれた友人(元ライター)が、ブログにこんなことを書いてくれました。

そして帰り際、2年前に闘病の末に逝ってしまった、
やはり当時の仕事仲間Sさんの奥さんにも会えました。
実は、あの鼻歌は私にだけ聴こえていて、
Sさんが歌ってるのかと思った私・・・。
本人が歌ってたと聞いてちょっぴりガッカリしたんだけど(笑)、
きっと、天国のSさんもあの場にいたと思う。

土曜日、紀尾井ホールのロビーで、仕事を通じて濃密な時間をすごした人たちと、久しぶりに再会し、かつ大切な友人同士を紹介できたことが、私は何よりうれしかった。

右の写真は、30代前半にとっても熱く深く関わった元ライターのMさんと、30代後半、会社の上司と部下として熱く深く関わったOさん。紀尾井ホールのロビーで、三人で写真のフレームに納まるなんて、ちょっと不思議な気分‥‥。

私にとってステージよりもむしろロビーこそ、この日の「本番」であった気がします。また、これこそが本業の仕事を持つアマチュアの喜びだと思いました。

さて、演奏会の終了後、17時30分からは、お隣のホテルニューオータニ宴会場にて記念パーティーがありました。

出演者、門下のご父兄のほか、ピアノ指導者協会の重鎮、楽器メーカーの社長、師匠のご友人が200人ほどが参加。宴会場が満員になるほど盛況でした。

音大教授や音楽評論家の方々がご挨拶をされましたが、とりわけ印象に残ったのが、東京音大の播本枝未子教授のスピーチ。この日の出演者、根津理恵子さんも大崎結真さんも、金子先生と共に播本先生にも師事されてました。

播本先生のスピーチは、師匠の若き日の姿や、師匠が自動車運転免許取得したての頃、クルマの助手席に座った話など、一つひとつのエピソードがウィットに富み、独特の説得力がありました。

スピーチに美辞麗句を並べず、ピリ辛のスパイスを散りばめられるのも、師匠と播本先生の間に深い信頼関係があるからだと思います。

たぶん、これまでお二人の間で、仕事では言い合いなんかもあったのじゃないかな。私には何となくわかるのです。仕事で熱く深く関わらないと、あの味わい深いスピーチはできませんって。

私も20年後、あんなスピーチをしてもらえる仕事仲間を持たなきゃな、と、素直に思いました。

播本先生ともご挨拶したかったのですが、カリスマオーラが強すぎて近づけませんでした。でも、近い将来、きっとご挨拶できる気がしています。

左/門下のお子ちゃまたち。パーティーでは子牛先輩、小熊先輩と同じテーブルにいました。右/東京音大・播本枝未子教授のご挨拶。

【 おまけ 】
パーティー終了後は、一緒に出演した井上好美さん、ご来場いただいたピアノ指導者のWさん、指導者検定を受験中のKさん&Kさんのご主人、5人で二次会に出かけました。金子門下のアラフォー組「超大人の会」のメンバーです。

といっても、私、赤坂見附界隈はホームグランドではないので、知っている店といえば、老舗のインド料理店、1980年代のディスコクラシックスが得意のクラブ、居酒屋「坐・和民」くらい。結局、一番最寄の和民に行くことに。

しかし、紀尾井ホールで演奏会をして、ホテルニューオータニでパーティーをして、ラストが和民ってのは、メンバーに申し訳なかったな。一人1300円で十分に楽しめたけど。


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