芸術の「事業仕分け」を経営的に考える

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バイオリン

<事業仕分け>クラシック音楽関係者8人が反論(毎日新聞)

 政府の行政刷新会議の事業仕分けに対し、クラシック音楽関係者8人が7日、東京都内で記者会見して「緊急アピール」を行った。「友愛の精神は芸術から」と銘打って、「明確な文化立国のビジョンを示さないまま(日本芸術文化振興会の予算などを)大幅に縮減したことを危惧(きぐ)する」などとしている。

 ピアニストの中村紘子さんは「芸術文化は人間そのものを育てること。人間を育てるには時間がかかる。1、2年で効果が出るものとは違う」。指揮者の外山雄三さんは「少しずつ我慢してなんとかなるなら我慢したいが、オーケストラはもう限界」と述べ、作曲家の三枝成彰さんは「助成が削減されると、地方のオーケストラは存在できなくなる可能性がある。そういう意味がわかっていたのか、非常に疑問を感じる」と語った。【油井雅和】

「芸術創造活動特別推進事業助成金の削減・廃止に反対」という署名運動がネット上で広がっているようだ。「プロ・オーケストラによる本物の舞台芸術体験事業の廃止に反対します。この事業は日本の文化活動を底支えしようという事業、また子供達の感性を豊かにし、将来の日本を担う人材を幅広く育てよう、という事業だと考えます。この事業の継続を強く希望します」という署名運動も同時に行われている。

私は、この手の社会の一部分にフォーカスした感情的な署名運動は、どうも苦手である。

最初に旗幟鮮明にしておこう。私は、基本的に「小さな政府」主義者である。「税金は少なく、国家の関与は少なく」がよいと思っている。
日本の借金は865兆円という天文学的な数字である。国民一人あたり677万円。目には見えないが、四人家族だと一家で約2700万円の借金があるのだ。これまでは人口が増え、経済が成長し、家計収入が増え、ローンを組んで買ったマイホームの不動産価値も上昇した。日本全体、そういった個人資産の信用が集積されることにより、目に見えない借金が可能だったのだ。

だが、今の日本にリストラが必要なのは明白である。

語弊を恐れずに言うなら、芸術創造活動特別推進事業助成金による事業とは、「一家に2700万円の借金がありつつ、子供を私立の音大に行かせるようなもの」と思っている。

だからといって、「助成金を削減せよ」=「私立音大への進学を諦めろ」というのではない。国家から事業助成金を得るからには、その事業によって直接的にしろ間接的にしろ、どのようなリターンがあり、“一家2700万円の借金”の返済に寄与するのか、助成される側が問われるはずである。

助成金削減に反対する芸術家の会見記事を読む限り、残念ながら、そういった発想がまったく見られなかった。

と、このままではオヤジのボヤキになるので、ちょっと経営的な視点で「音楽振興」というものを考えてみたい。

古代ギリシアでは、市民は子供に音楽を学ばせるのが必須であったそうだ。それは、演奏をするためではなく、「調和を学ぶため」だったという。古代ギリシア人にとって、音楽は芸術ではなく数学のようなものであったのかもしれない。

また、昨今、音楽大学でも音楽療法の学科が開設されている。代替医療、補完医療ではあるが、音楽を芸術ではなく「医療行為」と捉えることもできるだろう。

ところで、私のような会社経営に携わる人間は、手垢がつくまで、日々、損益計算書とにらめっこをする。たいていの損益計算書は、一番上に「売上」があり、その下に「原価」があり、そのまた下に「販売費・一般管理費」の項目がある。仕入れは原価に計上し、減価償却は販売費・一般管理費に計上する。

当然ながら、売上を最大化して、原価と販売費・一般管理費を最小化するのが、経営者の仕事だ。

例えば、私は「期間限定の懸賞システム」の開発・運用を、複数の顧客に提案したとしよう。同じシステムであっても、将来的な流用を考えて「資産」として捉える顧客もいれば、広告・宣伝費という一時的な「費用」として捉える顧客もいる。中には、あるプロジェクトの仕入原価として捉える顧客もいると思う。もちろん公的な会計基準はあるのだが、現実の運用においては個々の会社の考え方、思想に委ねられる部分が大きい。

一番大切なことは日本国株式会社として、音楽振興を損益計算書のどこに「仕分け」するのかだ。古代ギリシアでは音楽は芸術ではなく教育投資であった。当然のことながら、投資である以上は、リターンの定量指標が必要となる。芸術助成を訴える芸術家たちは、この定量指標という視点がない。“心を育てる”なんて物言いは、指標にはならない。

では、音楽を代替医療、補完医療といった福利厚生費と捉えるのか、はたまた観光・文化事業の「仕入れ原価」なのか。

「資産」と捉えるなら、助成金は中期的な減価償却と考えられる。「仕入れ」と捉えるなら、一つひとつのコンサートの損益をレビューしていくべきだろう。

日本の国家予算を損益計算書で見たとき、音楽振興をどのように「仕分け」していくべきか? その解答を、助成を訴える芸術家自身、署名に賛同する人々自身が考えることこそ、大切なのではないだろうか?

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コメント

  1. レイ より:

    確かに国家も収支を考えねばならないという面ではそうなんですけれどね。。。でも『日本国株式会社』と言いきるのも難しいですよね。
    私は経営に関する専門知識もないし、偉そうなことは何もいえませんが、国家とはやはり企業とは違った面を多く持つものだと思います。
    私は若い頃から文化・芸術にかかわる方面での仕事を多くしてきたのですが、収支だけでは割り切れない何かをたくさん学んできたように思います。
    確かに『心を育てる』なんていう言葉にはなんの定量指標にもならないあいまいさがあるとは思いますが、人の心や頭の中身が金銭に換算できないように、金銭では割り切れないもの・・・世の中にはまだまだたくさんありますもの。
    損益だけではなく残さなければいけないもの、育てなければいけないものにも力を注いでいくのが『国家』の一つの役割でもあるとも思っています。