レパートリーとは「ポケモン」なのだ

私は、現在の師匠の下でピアノを習うようになって、いろんなことを知った。その一つが「レパートリー」についての考え方だ。

高校生までのピアノの学習は、数学ドリルの練習問題のように、楽曲を次から次へとひたすら解いていくようなものだった。インベンション15曲も「15問の課題」だった。今、思い出すと、「課題をいかに早く解いていくか」にとらわれていた気がする。「ツェルニー40番練習曲を今年中に終わらせなきゃ」とか、同級生が「ショパンの即興曲を弾けるようになったから、自分も」とかね。

この延長線上には、「いかに難曲を、早くこなせるようになるか」という呪縛にたどり着く。

ピアノの学習を再開し、子供にピアノを習わせるお母さん方と知り合う機会が増えた。子供やお母さんとお話をすると、かつての私と同じ呪縛をしばしば感じることがある。芸大や芸高受験というゴールのためには致し方ない部分はあるにしろ、手段が目的化していることに気づいていない人が、意外に多い。

ちなみに、今年、学習した楽曲を振り返ると、ショパンの新エチュード3曲とノクターン1曲、ラフマニノフのエレジー1曲、バッハのシンフォニアが1曲とトッカータが1曲、合計7曲だ。

このうち、仕上げた曲は、新エチュードが2曲、ノクターン1曲、バッハのシンフォニア1曲とトッカータが1曲だけ。ただし、仕上げた5曲に関しては、コンクールやステップで何度も弾いたので、私のレパートリーと言える自信がある。

じゃ、「レパートリー」っていったい何だろう?

「人前で弾いても恥ずかしくない曲」と考えるのがまっとうだろうか。間違いではないはずだ。

“恥ずかしくない”は“ミスしない”ではない。例えば、発表会のステージで、老婦人が何度もつっかえながら弾いた「エリーゼのために」が、感動的だったりすることがある。

私は、老婦人がこの発表会の経験をもとに、もう一度人前で弾きたくなって、この曲の練習を続けて再びステージに立ったとき、初めてこの曲がレパートリーになるのじゃないかと思う。

レパートリーには“愛と育成”が必要なのだ。これ、今年、私が学んだこと。

ポケットモンスターを例に挙げよう。

私は、レパートリーと演奏者は、ポケットモンスターとポケモンマスターの関係のようなものか、と、最近気が付いた。

ポケモンマスターのサトシは、ピカチュー、キャタピー、ヒトカゲと一緒に旅をして、ポケモンと共に成長していく。中でもピカチューは一貫してサトシと共にいる。ポケモンはレパートリー、ポケモンバトルは本番と考えると、わかりやすいかもしれない。

ちなみにポケモン公式ホームページの下のような説明があった。

ポケモンはバトルをすると強くなる

ポケモンは、さまざまなわざを覚えることができ、これを駆使してバトルを行う。バトルをすることで、ポケモンはより強くなり、レベルアップするのだ。

レパートリーは本番を繰り返すごとに成長するのだ。

そういう意味では、ショパンの新エチュード第1番へ短調は、発表会で弾き、ステップで弾き、コンクールで弾き、私にとってピカチューみたいなものだ。

ピカチュー

なので、ポケモンの体力回復、モンスターボールの整備を行う「ポケモンセンター」はピアノ教室。いろんな地方で開かれるポケモンバトルの大会「ポケモンリーグ」は、コンクールといったところか。

思えば高校生までの私は、学習を終えると、次から次へと楽曲を「放置」してきた気がする。レパートリーにできなかった可哀想な楽曲たちよ‥‥。

今でも、子供の生徒の多くがそうではないだろうか。

ピアノを学習する子供たちよ、ポケモンマスターを目指せ!


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Posted by 鍵盤うさぎ