ピアノの特性をマクルーハン的に考えると

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先週と今週、二週続けて、出勤時にスマートフォンを持って出るのを忘れてしまった。二度とも最寄りの駅で気がついた。私は通勤定期券にモバイルSuicaを使っている。家に取りに帰ると出勤時間に遅れそうなので、仕方なく切符を買った。

スマートフォンを持たない身体感覚

駅で久しぶりに切符を買おうとすると、現金利用可能な切符自動販売機の数がとても少ない。渋谷駅のようなターミナルであっても、今や数台だ。特急券の自動販売機と合わせても4台ほど。また、最寄り駅の改札は、4台のうち3台がSuica専用改札機だった。不便とは思わないが、何だか肩身が狭かった。

普段、私は電子マネー&クレジットカードのヘヴィユーザーで、現金をほとんど持たない。財布に1万円札は1枚、2枚程度。一方、電子マネーは、Suica、楽天edy、nanacoの3つをモバイルアプリで利用している。なので、いちいち小銭を取り出すのが面倒で億劫だった。

また、スマートフォンを持たずに1時間の通勤電車に乗ると、とにかく手持ち無沙汰になる。ニュース・天気予報はともかく、私は本も電子書籍なので、次のアクションが起こせず、まどろっこしい。何だか世の中との回路が断線したような不思議な感覚だった。

批評家のマーシャル・マクルーハンは、メディア=テクノロジーを「身体器官の拡張」と、中でも電子メディアは「中枢神経系の拡張」と表現した。大昔、彼のメディア論を読んだ時、今ひとつその意味が腹に落ちなかった。だが、先週、今週、まる二日間、スマートフォンを身に着けないことで“身体器官、中枢神経系の縮小”を思い知ることになった。

マーシャル・マクルーハン

ピアノは身体器官の拡張だ

テクノロジーが「身体器官の拡張」とするなら、ピアノという楽器はまさにそのものだ。例えば、平手でモノを叩いてリズムを刻んだ際、強弱をつけたり、微妙に手のひらを広げたりすぼめたりすることで、音色が変化する。そのメカニズムの延長線にピアノという打楽器はある。

歴史的には、ギター、リュート等の撥音楽器がチェンバロに進化して、バルトロメオ・クリストフォリが打楽器的メカニズムを採り入れたわけだが、「身体器官の拡張」であることに変わりはない。

また、マクルーハンは、聴覚空間は「聴く行為によって生まれた同時的な関係が作る領域」であり、「同時多発性」が特徴であると述べていた。ピアノとはまさに、同時多発的なメッセージ表現にうってつけのテクノロジーだ(対位法も和声法も、同時多発的なメッセージ表現のプロトコルといえるのでは?)。

ピアノは、電子楽器や音響機器が登場以前においては「同時多発的メッセージ表現の究極のテクノロジー」である気がする。ピアニスト、ピアノ愛好者をとりこにする魔力はここにある。

私たちは自分の拡張に「それと知らずに恋をする」のです。
要するに、魅せられ、夢中になり、濫用している自分に気づかず、耽溺してしまうのです。

宮澤淳一『マクルーハンの光景 メディア論がみえる』より
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