「音の原風景」を訪ねて、東北地方の山里へ

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神社の鈴
毎夏恒例、一週間の一人旅から帰りました。一昨年は青森県の恐山〜八甲田山、昨年は山形県の出羽三山、今年は岩手県の遠野〜早池峰山と、重量級の歴史を持つ山々へ。

旅行中はクラシック音楽は聴かず、ピアノのことも忘れて、その地の音に耳をこらすようにしていました。まぁ、恐山、出羽三山、早池峰山ともに、霊峰と西洋クラシック音楽は合わないですが。

東京藝術大学の全身、音楽取調掛が設立されたのが1879年(明治12年)。日本の近代化と共に、西洋クラシック音楽の受容が始まって約140年。とはいえ、私の祖母は明治時代の生まれでしたが、クラシック音楽の素養はゼロでした。

大正時代にレコードが発売されたものの、実際に一般大衆が等しくクラシック音楽に接する機会を持ったのは、第二次大戦後の学校教育ではないでしょうか。

興味深いのは、戦前の学校音楽教育は当初「唱歌」として行われていたのですが、「芸術科・音楽」となったのは第二次大戦中の1941年(昭和16年)。音楽芸術は、国威発揚の道具として政府により推進されたものでした。

要は、多くの日本人にとって西洋クラシック音楽は、近代化への要請に応え、学校教育を通じて「上から与えられたもの」だった。この点は留意するべきだと思います。芸術だけでなく、いま当然のように受容されている日本史も道徳的規範も。

しかし、日本の中世は平安時代の後期、西暦1100年くらいから始まるとされていますが、850年間くらい、日本の音の世界があったはず。西洋クラシック音楽の「三度」も「解決」も「対旋律」もリセットしてこそ見えてくる、いや聞こえてくる「音の風景」が東北地方の山里にある。

そんなことを確信した三度目の夏旅行でした。

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