映画『インターステラー』感想、星空を見上げよ

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金曜日、早めに仕事を終えた。久しぶりに映画でも観に行こうかと渋谷界隈で、すぐに見られる映画をネット探すと、『インターステラー』という作品がTOHOシネマズ渋谷で19時40分から上映開始になる。映画の内容も知らず、早速TOHOシネマズ渋谷へ急いだ。

入り口でポスターを見ると、クリストファー・ノーラン監督による2SF映画のようだ。

映画『インターステラー』

物理学で証明する「愛は時空を超える」

ストーリーは一言でおいうとこんな感じ(ぴあ映画生活より)。

環境の変化によって荒廃し、世界的な食糧難に陥った近未来。地球はもう救えないと考えられていた。そこで田舎町で暮らすひとりの男が、人類が暮らす新たな星を探すよう依頼される。元エンジニアの彼と数少ないクルーは子どもたちの未来のために宇宙へと旅立つ。

ハリウッド映画のど定番テーマである「SF」「家族の愛」「アクション」の三つを融合させようとした野心的な作品だった。概して専門家の評価は高い。私自身はハリウッド映画の従来の枠組みを超えるものではなく、3時間という長時間の作品ながら最後のオチがなんとなく見えているのが残念だった。

ただ、コンセプト作りから、理論物理学者のキップ・ソーンが入っているだけあって、科学考証は十分に練りこまれている。それが、なんとなく素人には難解にさせている気がする。せめて、高校生レベルの基礎物理学をちゃんと覚えていたら、もっとこの作品を楽しめたと思う。

例えば、「ブラックホールの超重力が時間の流れを歪めるので、至近にある惑星の一時間は地球の七年間に相当する」というあたり、アインシュタインの相対性理論を少しでも理解していれば、すっと頭に入るのだろうが、私の場合素朴に「なんで?」という疑問が解けないままストーリーが進んでしまった。

結局は「愛は時空を超える」というオチなんだけれど、そこに至るロジックを物理学で証明しようとした点が、この作品のユニークなところだと思う。

映画『インターステラー』

オトコはもう一度、星空を見上げねば

ところで、主人公がつぶやいた次の言葉が妙に印象に残った。

「かつてヒトは星空を見上げていた。それが今では足元を見て生きている。」(だったっけ)

その言葉が妙に印象に残っていて、翌日、息子二人と昼食しながらこんな話をした。

発端は映画『スターウォーズ』のエピソード7の予告編が見られるようになったことから、「お父さんが小学校6年のとき、第一作が上映されたんだから、まぁ、アメリカ人の父親にとってはき機動戦士ガンダムみたいなものだな」と。

そこから宇宙の話に飛んで、「お父さんが物心ついた頃は5歳くらいで、アポロの月面着陸がたった2年前の出来事だった。中学生になるとスペースシャトルが打ち上げられて、大人になる頃には、きっと宇宙旅行が普通になっていると信じて疑わなかったんだがな」とか。

そう。1970年代に少年時代を過ごした男子は、しばしば星空を見上げていたのだ。

そういえば、超時空要塞マクロスは2009年に建造される予定だったので、大人になったら星間戦争の危険もあるに違いないと中二病的妄想を膨らませていたが、まったく杞憂だった。

2009年、超時空要塞マクロスが宇宙へ(2009/6/17)

あと、5年もすれば、アポロの月面着陸から50年も経ってしまうのか。20世紀の目で見える科学の進化に比べると、IT革命なんて、今ひとつ夢がないように思える。アポロ11号に搭載されたコンピュータは、ファミコンの処理速度の10分の1、メモリ容量も10分の1だったらしい。信じられない出来事だ。

ケネディ大統領のアポロ計画実施に対する演説は、今なおしびれるものがある。

我々が10年以内に月に行こうなどと決めたのは、それが容易だからではありません。むしろ困難だからです。この目標が、我々のもつ行動力や技術の最善といえるものを集結しそれがどれほどのものかを知るのに役立つこととなるからです。その挑戦こそ、我々が受けて立つことを望み、先延ばしすることを望まないものだからです。そして、これこそが、我々が勝ち取ろうと志すものであり、我々以外にとってもそうだからです。

もう一度、星空を見上げなければ。

追伸:
アン・ハサウェイはやっぱり可愛い。
ハンス・ジマーのミニマムで壮大な音楽もよかった。

映画『インターステラー』公式サイト