感想/小説『シューマンの指』に胸キュン

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芥川賞作家・奥泉光のミステリー小説『シューマンの指』を少し前に読んだ。クラシック音楽がテーマの小説では、荒木源著『オケ老人』以来、久しぶりにワクワクと楽しめるものだった。著者のシューマンへの熱い思いが冒頭から最後のオチまで、痛いほど伝わってくる作品だった。

“シューマニア”の矜持

小説『シューマンの指』“シューマニア”の私にとって、心の奥底で趣味を理解しあえる同性(例えば「ブルックナーの8番はハース版より第一稿ですよね!」というようなニッチな共感)に出会ったような、胸キュン(死語!)の読書体験だった。

これ、ショパンじゃダメなのだ。ショパンやモーツァルトがテーマなら少女漫画になってしまう。文芸はやっぱりシューマンじゃなきゃ!ってこの感覚、数少ない昭和の元ピアノオタク男子にはわかってもらえるだろうか。

私は高校時代、教室の発表会で『子供の情景』を弾いたことがある。出演者は私以外全員が女子。ショパンのワルツやらラフマニノフの「道化役者」やら、プログラムは華麗なる演奏会用楽曲ばかりだった。私は「ショパンばかり弾きやがって、これだからオンナは」とため息をついた。そして、「知性ある男子のピアノはシューマンだ!」と、まったく根拠のない小生意気なポリシーを抱いていた。いま思い出すと、かなり嫌なオトコである。

シューマニアは、夜中、一人でクライスレリアーナや幻想曲を聴きながら「彼(シューマン)を理解してあげられるのはオレだけだろう」と思わず天井を見上げて目をとじる、そんなナルシストが多いのでは?

ミステリーなのか、音楽論なのか

さて、奥泉氏の『シューマンの指』。ミステリー小説でありながら、シューマンの音楽論のようでもある。

なので、シューマンの音楽を聴き込んでいないとこの小説の楽しさは半減する。シューマニアにはたまらない作品ではあるが、反面、シューマンへの偏愛ぶりが読者を選んでしまうのでは?

例えば、ピアノ協奏曲 イ短調の演奏の箇所。

 第一楽章冒頭。あの、決然として、きらびやかなピアノの楽句を、永嶺修人は、速いテンポで金属の青い火花が閃くように弾くだろう。それは鮮烈ではあるけれど、いくぶん冷たい印象を与えるだろう。続く、オーボエでまず奏でられ、ピアノに引き継がれる第一主題では、氷塊の内側で炎が燃えるようであり、それは全体を支配する気分になるだろう。
 再現部の開始。全曲でもっとも印象的な、四分の六拍子の幻想的なアンダンテ・エスプレッシーヴォ、誰もが息を飲んで耳を傾けてしまうあの箇所を、永嶺修人は、作曲家の意図に逆らいそっけなく弾こうとするだろう(以下略)

と、まぁ、こんな具合に、イ短調協奏曲一曲を延々と言葉で表現しつくしている。この楽曲を聴きこんでいるシューマニアでないと、この情景を頭に思い浮かべるのは難しいのでは。アンダンテ・エスプレッシーヴォって???……。

ただ、奥泉氏自身はインタビューで次のように答えている。

「言葉そのものが音楽になっている。そんな小説を書きたいと思っていました」

『シューマンの指』奥泉光 著者インタビュー(プレジデントオンライン)

「謎が小説を引っ張るのではなく、音楽が小説を推進していくこと」をテーマにしたと。なるほど。

文系男子の友情と葛藤を描く

音楽の要素を外して、私が最も共感したのは、思春期ならではの文系男子同士の友情と葛藤だ。

私にも中学高校生時代、この小説の主人公である医師・里橋優とピアニスト・永嶺修人の関係ような、生真面目で青臭い音楽論を語り合える親友がいた。彼の家のステレオで父親のコレクションであったグールドのLPレコードを片っ端から聴いたり、休み時間、シューマンの遺作であるバイオリン協奏曲や「ベートーヴェンの主題による変奏曲」の感想を語り合うのは至福の時間だった。

ピアノに偏りがちな私を、アルバンベルク弦楽四重奏団やワーグナーの楽劇の世界に引き込んだのは、彼だった。彼はいま、主人公・里橋優と同じように外科医をしている。

アルバン・ベルク弦楽四重奏団の思い出(2009/10/25)

何だか自分の話ばかりになってしまった。とにかく、思春期特有の文系男子の友情と葛藤について、このミステリーは説得力を持って描いている。

クラシック好きの文系男子にはぜひ読んで欲しい小説だ。